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  • » 2024.05
イエローモンキーと僕
THE YELLOW MONKEY と 僕 ナカムラ

僕はイエローモンキーが好きだ。
多くの人には言ったこともないかもしれないけど、かなり若い頃から好きだ。
今日、久々にイエローモンキーのライブを見て、どこかにこの気持ちを残したいと思ったので、唯一長文を吐き出せるここに記します。

イエローモンキーと最初の出会いは、小学4、5年生の頃。
バンドに対してなんの興味もない頃に友達のニッシーにパンチドランカーを借りたのが最初だ。
みんなにいじられるキャラのニッシーがCDアルバムを持ってるのもびっくりしたし、借りて聴いたら結構重めのロックだったのにもびっくりした。
パンチドランカーというのはイエローモンキー休止前のアルバムでハードロック色が非常に強いアルバムだ。
スピッツやミスチルあたりを雑に聞いてるポッパーにはなかなかハードなアルバムだ。
球根とラブラブショウが好きだった記憶はあるものの、他は全然入り込めなかった。

その後、中学生高校生くらいでラルクやグレイやソフィアなど、それっぽいやつをそれっぽく聞く時期を経て転換期が訪れる。
高校1年生の時にXJAPANと出会う。同級生の友達の家で初めて聞かせてもらったX。それにあわせてギターを弾く純士のかっこよさ。
なんとなく楽器は聴くもんでしょ、と半ば諦めていた自分が揺り動かされたのを強く覚えている。
翌日、お年玉をおろしたいとよしこに伝え姫路駅前の楽器センターにギターを買いに行った。
どんなのがいいですか?と聞かれて、とがっていて黒っぽいやつがいいです、と応えた。
今思い出してもすごく恥ずかしいけど、客がそう言ったらかわいく思うかもしれない。
そう思っていて欲しい。

そこから高校を卒業するまでずーーーーっとXのsilent jealousy1曲を練習する。
初心者には難しく一向にうまくならないのでずーっと1曲を練習した。
その合間に、日々姫路駅前のタワーレコードに通う生活が始まる。
当時弓道部に所属していたので、部活をして、最寄り駅まで帰って自転車で15分くらいのとこにあるタワーレコードに通い詰めた。
おぼえたてのメタル、はやってたメロコア、推されてた荒めのロック(ピーズもこの時初めて知った)、全試聴機をきいてまわった。
CDのラーナーノーツを辿り、お昼ごはん代でもらった500円をためにため、CDをたくさん買った。
ハードロックやメタルに一番はまっていた時期かもしれない。

そして、そんな高校2,3年生の頃、イエローモンキーの8枚目のアルバム8が発売になる。
当時は知ることもなかったが、イエローモンキーが活動休止に入る前の最後のアルバムだ。
久々にイエローモンキーと対峙したナカムラ少年はそのメロディのよさに大感動するのである。
8は正直ファンの中でも賛否分かれるアルバムで、ほぼヨシイロビンソンの色が見える退廃的なアルバムだった。(FFでいうと6の感じ)
その中でもSO YOUNGやカナリア、パール、聖なる海とサンシャインなど、まだまだ現役なグッドメロディが詰まっているアルバムだ。
僕は肯定派、というかすごく琴線に触れる大好きなアルバムでむちゃくちゃ聴いた。
同時期にでたben foldsのソロ1枚目とともに聞きまくった。それこそCDが擦り切れるくらい聴いた。hideのロケットダイブと同じくらい、誇張無しで1000回ずつは聞いた。

ギターをはじめ、たくさんのレジェンドの音源を聴き、それでもなおかつ大好きだった日本のロックのメロディに心振るわせた高校3年生、卒業もせまった頃、イエローモンキーの活動休止が発表された。
最後のライブが大阪であるらしい。しかし兵庫県の片田舎姫路で暮らしてバイトもしていない時期に大阪のライブなんて夢のまた夢。まぁ休止なら今回は我慢するかと思いながら本屋さんでラブラブショウの楽譜が載ってるバンドやろうぜを買ったのを覚えている。
今思うと、高校生のガキンチョは活動休止の重さがわかっていなかった。

ほどなくして大阪の大学(イワナミさんと同じ学校)に進学したナカムラ少年は、さらに音楽の幅を広めつつ、どっぷりイエローモンキーの深みにはまる。
学校の横にあったK2レコードという大学生御用達のCD屋で、過去のCD、楽譜、ブート版を借りまくる。
同時にハードロック、ヘビーメタルにも心酔し、ほとんど学校にも行かずギターだけ弾いている時代が続く。
友達に好きな音楽の話をする時は、え?イエモンて解散したやんな?という質問を100回位食らうも、いや休止なだけやからなぁとこたえ続ける。
これは音楽ファン共通なところがあると思うけど、それを否定することで心を補強していたふしがある。やっぱり不安になるし、希望もあるのだ。休止って簡単に使うべきじゃないと今でも思う。
ついでにポールギルバートにはまったのもこの頃で、唯一握手会にいったことがあるのが彼だ。大きいほうという自負がある僕の手の2倍くらいの大きな手だった。
あ、でも天才中川仁太にアイドルの握手会に連れてってもらったことはあります。
今はなきヤフーチャットという音楽を流せるチャットに入り浸り、イエローモンキー好きの人たちと交流して楽しい時期をすごす。

大学もそろそろ卒業だなーって時期に先輩から、ライジングサンの前夜祭がゼップであって行けへんからチケットどう?と売ってもらってライブにいった。
もちろん目玉はキシダンだ。その頃イケイケだったキシダンが生で見られるなんて!
ラッキーラッキーと思いながら行ったのは、高校生時分タワレコのフリーペーパーで名前をよくみたバンドも出ていたのでついでに見てみてやりたいって気持ちもあった。
キシダンはばつぐんにおもしろくて、特攻服を着たばばぁもおもしろく、高揚する気分の中、ついでに見に来たバンドが演奏を始めた。怒髪天だ。震えるくらいかっこよくてださくておもしろかった。特攻服のばばぁを押しやって前にでて、一緒に行った彼女はひいてた。

怒髪天に心を奪われ、CDを買いあさりライブに通った。
当時はまだそんな知名度も高くなかったのでフラカンとタイバンでファンダンゴで4000円位で見られた。
怒髪天は演奏中メンバーみんな表情が違うのがよい。ヴォーカルの増子さんは曲どおり、ギターのともやすさんは怒った顔、ドラムのさかさんは哀しい顔、ベースのしみさんはニッコニコ顔。
メタルやハードロック、メロコアを好きだったナカムラ青年は怒髪天に激ハマリしだす。
あんなバンドやりたいなーと思い、ともやすさんみたいな音が出したくてストラトが欲しくなる。
色んな楽器を調べていくにつれ、日本の楽器メーカーを魅力的に感じる。
その中でも一番よさそうなフジゲンのストラトを買おうと、毎日デジマートを調べる日々が始まる。
調べ始め1ヶ月目くらいで、すごくかっこいいテレキャスターを見つける。テレに不似合いなバリ虎ネックのリンディPUをつけたテレキャスター。すぐに電話してキープしてもらった。
東京のカスタムハウス製で値段も13万位でスペックを考えると激安だった。
夜行バスに乗り、迎えにいった。夜行バスで怒髪天のアルバムをずっと聞いた。

フェンダー系のギターは弾いたことがないし、どちらかというとシングルピックアップのギターはメタル好きなのでバカにしていた。
しかも怒髪天みたいな歌モノに合うストラトじゃなくテレを買ってしまった。いい楽器はほしいという楽器好きの性だ。
結局テレキャスター買ったしなーと思ってロックンロールを始めることにした。
ロックンロールといえるもので当時聞いていたのはブライアンセッツアーとTMGEくらいなもんで、知識も引き出しも全くかなった。
でもバンドやりたかったので必死で色々勉強して練習して、ネットでメンバーを募集して始めたのがバラ色人生ズ。
いわなみさんが、おんちだけど声は大きいですとメールくれてええやんと思ったのを覚えている。

それから全然知らないロックンロールを一生懸命やった。
環境がよく、まわりのバンドもやさしかったので楽しく勉強してやれた。
ある日、エレバティでハードロックバンドとタイバンした。
スキンで白スーツのVO,革ジャンにヒゲのどうみてもザックワイルドなギター、ロンゲでやせがたなベース、ブラックスティールレーベルといういかついバンド。
堂々としたかっこいいステージに走り出したばっかの俺は興奮した。
次のライブ予定を聞いて尼崎deepaに1人で見に行った。そこでメンバーとしゃべることに成功し、やたら陽気なスキンがイエローモンキー好きなのを聞き、その日のうちにイエローモンキー縛りのカラオケにつれてってもらった。
あーこいつは見た目とテンションはやばいけどええやつなんやなと思って仲良くなったスキンが後々バラでドラムを叩いてるオハラだ。

イエヲーモンキーの面々は、その頃みんながやりたかった人生を歩む。ロビンはヨシイロビンソンを始め、ヒーセはヒーセアンドドューズを始め、エマは色んなバンドのサポートや我がのバンドをはじめ、アニーは釣りにいそしむ。
ロビンソンは正直全然好きじゃなかった。メロディは好きなものの、歌謡ロックからロックを引いた音楽をしていた。
そんな中バチバチのハードロックグッドメロディをやり続けていたのがベースのヒーセだった。
ヒーセアンドドューズのライブもオハラとロンゲと見に行った。ロケッツであのイエローモンキーヒーセのライブが目の前で見られる!ちょっとだけ休止ありがとうと思った。
ヒーセは作曲もするし、ギターだって弾く。東京の方では小さいライブハウスでライブもやっていたらしい。
関西でもベースオントップで個人レッスンが開かれていた。2万円前後でヒーセに90分間教えてもらえるのだ。どうだろう。俺はヒーセはヒーローだったので行けなかった。隣で俺のギターを聴いてもらうチャンス。夢のようだけど夢であってほしい。ヒーローは手が届かないで欲しい、そういう感情を明確に感じたのでいかなかった。いやーでもいっときゃよかったかなー。今思うといっときゃよかったかなー。でも元気な姿を見られるだけでいいしなーと尽きない位感じることがある位ヒーセが好き。最初に買ったベースももちろんサンダーバード。
あーすきーーーーー

そしてマリワナも解散し、バラも俺がさぼったせいでそんなに活動しなかった2016年、とうとうイエローモンキー活動開始が発表された。興奮半分、好きだけどなかばあきらめていた俺は新規音源砂の塔を聞く。
んーーやっぱりロビンソンを引きずってるなぁ、それが最初の感想だった。
ものの!ものの、とうとうライブを見られるチャンスがやってきたのだ。
京セラドームでとうとう初めての、15年くらい待った初めてのライブ。
オハラとみづきちゃんとチケットをとり、見に行った。

もーびっくりするくらいイエローモンキーだった。
それまでビデオやDVDやCDで予習していたイエローモンキーがそのままに!
ギラギラのかっこよさで、たぶん2時間前後のライブがあっという間に終わった。
やっぱりかっこいい。日本人だからこそのロックがあるなーと思うけど、それの一番歌謡よりなバンドがイエローモンキーだと思う。
お化粧して細めのギラギラの衣装着てかっこつけて。グラムロックインジャパン!
演奏曲はほとんど昔の曲やけど、それはファンも嬉しいとこがある。
イエローモンキーここにありというのを感じた。
ちょっと不安になりながらも、いや休止やから解散はしてへんで、と言いい続けた記憶なんかがざーっと流れてより一層ぐっと来る。

イエローモンキーにもらったのは、音楽の興奮だけじゃなくて大切な友達や、ロックな感性を持っておく事の大切さや、とがるだけじゃなくてナチュラルなロックもあるってことで、物事に影響されやすい時分にとってとてもおおきなものな感じがする。
今日久々にyoutubeでイエローモンキーのライブを見たら、そういう感じがだーっと蘇ってきて、どうしてもそれを出したくなった。そんなときありますよね。あるある。

何年か前に宇治とかとイエローモンキーのコピバンをやった。
まじめにコピーすんのは初めてやったけど、さぼってる俺にはむずかしくおもしろかった。
やっぱフレーズも音もかっこいいし興奮した。宇治も吉井感あってよかった。
バラではそういう色がだせないもんで難しいんやけど、唯一イエローモンキーみたいにしようと思ってギターを作ったのがワルツです。誰にも言ったことはないけど。
初期イエローモンキーのgolden boysや街の灯りみたいな気持ち悪いけどあってるを目指して結構苦労しながら作った。

バンドを始めたおかげでたくさんの友達ができて、そのみんなが好きな音楽があって、そういう環境にいられることはすごいありがたいことで、というのはよしろーくんのMCみたいやな。
色んな影響を受けながらも好きなもんは好きで主張していきたいけどめんどくさがられたら嫌なのでここに書き記します。
俺のすきなんベースばっかやなー。なんやこれ!
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【2024/02/13 02:18 】 | G&Cho:ナカムラ | コメント(0)
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